目次
はじめに:変化の時代、日本の転換点
私は2000年代後半からサプライチェーン領域のコンサルティングに従事し、リーマンショック後の混乱、東日本大震災、パンデミック、そして現在の地政学的分断と、さまざまな想定外の事象なかで、日本企業と共に数々のSCM改革に取り組んできました。そのたびに、新たなコンセプトやテクノロジーを活用し、「できないこと」を「できる」ようにしてきました。
しかし、ここ数年の変化はこれまでとは質が違うと痛感しています。
従来のSCM(Supply Chain Management)は、業務改善や在庫削減といった「効率性」の追求する業務の裏方でした。しかしいまは、企業の競争力そのものを左右する「戦略の中枢」に位置づけられています。さらに、気候変動やESG規制、AIの進化、そして地政学的リスクといった不確実性の連続により、サプライチェーンそのものが「変革の対象」となっています。
こうした背景のもと、いま日本企業のSCMは、根底から再定義されるべき時を迎えています。それは単なるツールの刷新や業務の見直しではなく、「企業としてどのような意志をもち、どう未来を設計するのか」という意思決定の哲学にかかわる問題です。
重層的リスク環境の定常化に伴うサプライチェーンの再定義
サプライチェーンを取り巻く環境は、単なるオペレーションの最適化を超え、企業戦略の根幹に関わる領域へと進化しています。その背景には、複数の重大なリスクと機会が同時に襲来している「複合リスク環境」の出現があります。
気候変動、感染症、地政学的分断、サイバー攻撃、持続可能性に関する規制、生成AIの進化といった、かつては時期が異なり個別に対応できたはずの要素が、いまでは相互に連鎖し同時に起こる「重層的リスク環境」となり、サプライチェーン全体の脆弱性を浮き彫りにしています。これにより、もはや「効率」だけを重視したサプライチェーンでは、企業は持続的競争優位を築くことができません。
SCMの設計思想は、かつての「堅牢な構造のなかで効率性を追求するモデル」から、「変化に耐え、変化と共に進化する構造のなかで最速で判断するモデル」へと意識転換が必要です。企業がこの環境で優位を築くためには、サプライチェーンを単なる「モノの流れを制御する仕組み」とは捉えず、「行動(コト)を実行に移す骨格」として捉える必要があります。
そのためのもつべき視点として、効率性に加えて、以下の三要素を加えるべきです。:
弾力性(Resilience):不測の変化に耐えられる構造
持続可能性(Sustainability):環境・社会への影響に配慮した運営
再現性(Reproducibility):結果を再現可能にする意思決定プロセスやデータ

世界の先進企業に学ぶ、再定義の4つの方向性
1. サプライチェーン・デカップリングの加速
トランプ大統領の就任とともに「デカップリング」という経済用語使わるようになりました。SCMには同じ意味の専門用語があるため、経済のデカップリングの加速がサプライチェーンに何をもたらすか、SCM専門家であれば、推察がしやすいといえます。端的にいえれば、「集中」から「分散」への動きが加速しています。例えば、これまで多くの企業が製造や調達の最適地として中国を選んできましたが、米中対立や台湾有事リスクの高まりを受け、分散が起きます。つまり、サプライチェーンの設計において、政治・環境・インフラ・人的資源を含めた多角的評価軸で、分散しながらも持続可能性をもつ拠点戦略が不可欠となりました。
事例:アップル
アップルは、iPhoneやAirPodsなど主要製品の製造拠点を中国からインド・ベトナムへ段階的に移行。これは単なるコスト削減ではなく、米国の通商政策との整合性や長期的な供給安定性を考慮した戦略的な再設計です。
2. 実行系と計画系の一体化
市場変動の激しさが増すなか、これまでサプライチェーンを支えてきた「実行系」「計画系」の2分類のマネジメントでは、今後必要な弾力性、持続可能性、再現性を支えられなくなってきています。計画系ではS&OP(Sales & Operations Planning)というより優れたコンセプトの普及でマネジメントが向上していますが、それでも重層的なリスク環境では、堪え切れていません。いま求められているのは、短期的な現場対応をリアルタイムに判断・修正するS&OE(Sales & Operations Execution)の普及だと考えます。特にAIとSaaSの組み合わせにより、属人的判断から脱却し、再現性あるオペレーションが実現しつつあります。
事例:ウォルマート
ウォルマートはMicrosoft Azure上で全店舗の販売・在庫データを集約し、AIによって販売予測と在庫補充を自動化しています。S&OPでの計画と、S&OEでの即時修正が連動しており、食品ロス削減と欠品率低減を両立させています。
3. Scope3・ESG対応の義務化
企業のサプライチェーンは、環境・人権といったESGリスクの震源地でもあります。特に地球温暖化対策として世界標準といえるScope3(間接排出量)の可視化・削減は、もはや“努力義務”ではなく“経営義務”となりつつあります。サプライチェーンの情報基盤に二酸化炭素の排出量も指標として加わるため、情報の正確性、秘匿性など新たな観点でのルールや整備が必要となり、SCMはESG戦略の実行機能として重要な役割を担いはじめています。
事例:ユニリーバ
ユニリーバは全サプライヤーに対し、CO2排出量・労働環境・人権配慮の開示義務を課し、調達判断にESGスコアを反映。遵守状況によって価格交渉や契約条件を変更する仕組みを導入し、「責任ある調達」を実現しています。
4. SaaS型SCMとデジタルツインによる動的設計
これまでのサプライチェーンモデルは、一度構築すると更新が難しい「静的」なものでした。しかし現在は、SaaSを活用し、クラウド上で複数の設計案を同時に比較・シミュレーションできる「ダイナミックSCM」への移行が進んでいます。さらに、現実の設備・物流・製造を仮想空間に再現するデジタルツインの導入により、変化に応じた迅速な意思決定が可能となっています。
事例:シュナイダーエレクトロニック
約30のERPシステムからSCM関連データを抽出・統合し、190の工場と100の物流拠点を含むグローバルネットワークのモデリングを行い、地域ごとの需要に応じた生産拠点・物流拠点の最適配置、輸送コストとCO₂排出量の削減を両立し、サプライチェーンの弾力性と持続可能性と再現性の向上を実現しています。
日本企業の課題:意識変化を阻害する構造的課題
このようなグローバルの潮流に対し、日本企業は以下のような構造的課題を抱えています:
・部門間サイロから生じるKPIの矛盾
営業・製造・調達・物流が個別に目標やKPIの落とし込みを図るため、SCM全体としては矛盾が生じ整合がとれなくなります。結果として、計画と実行にギャップが生じ、需給不安定を招いています。
・勘と経験に頼る需給判断
まだまだベテランの暗黙知に依存した運用が多く、再現性に欠けます。重層的リスクによる不確実性が常態化する現在、そして労働人口が減少する現在、この業務設計は限界に達しています。
・中国依存の調達構造
多くの企業が中国に調達を大きく依存していますが、地政学リスクや感染症拡大により、その脆弱性が顕在化しました。にもかかわらず、再分散の動きは諸外国に比べれば限定的で、構造改革はなかなか進まない現実があります。
・後塵を拝するESG対応
日本が環境で世界をリードするという謳い文句もいまはなく、欧州先行のルールに追従してはいるものの、SCMがESG戦略の実行部隊として会社を先導する役割にまで発展しているとはいえません。
「未来を常に描き直す戦略の骨格」へ:日本企業がとるべき5つの戦略
1. サプライチェーンマネジメントに関する基本思想の再定義
SCMの基本思想を、コストやリードタイムなどの効率化だけを優先して捉える考えを改め、弾力性、持続可能性、再生産性を加味し、その構造を「堅牢な構造物」から「変化に対応できる柔軟な構造物」へと再定義
2. S&OPとS&OEの連携
中長期の計画(S&OP)と短期の実行(S&OE)の連携を強化し、柔軟かつ持続的な需給バランスを実現する運用体制を整備。予測偏重になることなく、さらなる変化への即応を実現
3. 意思決定におけるリアルとバーチャルの統合
サプライチェーンのデジタルツイン環境を整備し、複数シナリオを仮想空間で即時にシミュレーションし、現場判断の質とスピードを両立
4. 多層化データ基盤の構築
SCMの意思決定に必要なデータ環境の整備においても、弾力性、持続可能性、再生産性を考慮して、その構造化・非構造化を問わずに多層的な機能で整備し、データドリブン&再現性ある意思決定を実現
5. ESGと経営統合(非財務KPI化)
SCMをESG戦略の実行部門と捉え、排出量トラッキング、人権・環境リスク評価を含む非財務KPIを、財務指標と同等に統合

まとめ:分断と再構築の時代へ
これまでのSCMは、あくまでコストや効率を追い求める「裏方」機能と位置づけられてきました。しかしいま、それは国境をまたぎ、社会と環境、そして企業の戦略をつなぎ直す「前線」へと進化しています。
SCMを再定義し、企業全体の意思決定基盤として設計し直すことは、もはや「生存条件」です。「変わるか、変えられるか」、その選択が10-20 年後の競争力を決定づけるといえます。
今後の連載(全6回)
本稿を初回として、以後全6回にわたり提言を具体化致します。特に以下の要諦については、連載を通じて詳述していく予定です。
・S&OE(Sales & Operations Execution)という新概念の勃興
従来のPSIやS&OPでは補えなかった「即応力」を担保する新たな仕組み。
・ヒト・コトを包含したSCMへの進化
モノ・カネだけでなく、属人的な判断(ヒト)と、価値観・体験・出来事(コト)も統合する、より全人的なSCM観。
・SCMは「変化に対応できる柔軟な構造物」
変化に耐える柔軟な構造としてのサプライチェーンを設計・維持し、品質・信頼性・説明責任を担保する設計思想。
回 |
テーマ |
第1回 |
SCM再定義:分断と再構築の時代をどう勝ち抜くか |
第2回 |
S&OE:実行の中枢を支える新概念 |
第3回 |
S&OP:未来を描く計画力と即応との連携 |
第4回 |
SCD:設計から再設計へ、構造を変える |
第5回 |
データ基盤:SCMの再現性と即応性を支える背骨 |
第6回 |
SCMの多軸化:ヒト・コトを組み込む意思決定へ |